大久保宏明のヤメ検の事件簿(その1)

弁護士時代、A氏の弁護をした実話である。
A氏は、けん銃5丁および実包百発以上を隠し部屋に所持していたとして、銃刀法違反で逮捕・起訴された。
A氏は、その隠し部屋を自己名義で借りたことは認めたが、そこにけん銃や実包などが隠されていたことは全く知らないとのことであった。
誰かが、運び入れたに相違ない。
その誰かは、おおむね見当がついていたので、これを主張・立証して、無罪判決を得るのが私の仕事であった。

A氏の第一回公判期日前に、検察官から、公判提出予定の記録が開示され、私は直ちに謄写した。
その記録を見て、「やられた!」と声を上げてしまった。

A氏が隠し部屋の鍵を預けていたのは、パキスタン人Xであり、Xが誰かの依頼で、捜索の対象となる可能性が低いA氏の隠し部屋にけん銃や実包を隠匿したに違いない。
しかし、Xの公判前証言が既に書証となっており、公判提出予定の記録として開示されたのであった。
Xの公判前証人尋問調書には、「A氏に頼まれて、けん銃や実包を運び、指紋を念入りに拭き取って隠し部屋に隠匿した」とのXの証言が記録されていた。

Xは、A氏の逮捕に先立って、不法滞在の罪で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が確定しており、既にパキスタンに強制送還されていた。
つまり、Xの証人尋問が不可能な状況で、A氏の公判を迎えることになる。

刑事訴訟法227条1項には、「取調べに際して任意の供述をした者が、公判期日においては前にした供述と異なる供述をするおそれがあり、かつ、その者の供述が犯罪の証明に欠くことができないと認められる場合には、第一回の公判期日前に限り、検察官は、裁判官にその者の証人尋問を請求することができる。」と規定されている(平成16年に要件を緩和する改正がなされた)。

しかし、憲法37条2項は、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手段により証人を求める権利を有する。」として刑事被告人の証人審問権を保障しているため、かねてから、被告人や弁護人が立ち会うことができない公判期日前の証人尋問は憲法違反ではないかと主張されてきた。

A氏の被告事件では、第一回公判期日前に、最重要証人であるXを強制送還してしまっており、Xの入国を認めることはできないのであるから、公判廷における証人尋問の機会が完全に奪われたことになる。
アンフェアなやり方であった。

私は、様々なツテをたどり、ようやくパキスタンにいるXと電話で話をすることができた。
Xは、8年間も日本に不法滞在していた。
そのおかげで、日本語で普通に会話ができる。
日本では、毎日、新聞を読んでいたとのことであり、一筆書くということになると、漢字に自信がないのでカタカナでよいか、と語ってくれ、非常に協力的であった。

私は、パキスタンに向かった。
北京・イスラマバード経由カラチ行き、たしか15時間くらいかかった。
エコノミー席しかない飛行機で、真ん中に4席あるうちの左から二番目。
隣は右も左も大男で、まったく身動きがとれなかった。
しかも、同乗者には、強制送還されて本国に戻る者が多かった。

身動きのとれない機内で仮眠もとれず、くたくたに疲れてカラチ空港に降りた。
困ったのは、どれがXだか、さっぱり見当がつかなかったこと。
空港で待っている人だかりは、みなターバン姿であり、見分けるのは不可能だった。
もし、Xが迎えに来てくれていなかったら、とんぼ返りになる。
暑かったが、私は、スーツを着て弁護士バッジが目立つように、ゆっくり歩いた。
Xは、待っていてくれ、私を呼び止めてくれた。
なんとも人なつっこい、大男であった。
裁判記録の写真に比べると、ずっとハンサムな好青年に見えた。

空港からは、Xの高級車で彼の自宅へ向かった。
8年間の不法滞在で稼いだ金は、ほとんどXの家族に送られていた。
Xの家は、城のような大豪邸だった。
まずは汗を流そうという話になり、一緒にプールに入り、ビーチボールを投げ合ったりして遊び、すぐに親しくなった。
そして、高級ホテル並みのリビングルームで話を聞いた。

Xは、警察で打ち合わせたとおりに検事や判事の質問に答えれば、すぐに帰国させてやるとの利益誘導を受けていた。
さらに、銃刀法違反についは不問に付すという特典付きであるから、言いなりになった。
Xは、A氏がけん銃・実包の隠匿に関与していないことを語り、5丁のけん銃は、暴力団組長3人から預かったことを話してくれた。
そして、これらの話を便箋にカタカナで丁寧に書き、最後に日付を入れサインをした。

その後、Xは、カラチの市場を案内してくれた。
危険地帯とは思えないほど、たくさんの人たちで賑わっていた。
通り沿いに、たくさんの牛が吊るされていたが、ハエがたかって黒く見えた。
お土産に、ちょっとした絨毯でもと考え、手ごろそうなものを物色してみたが、バイヤーに日本で買うより遥かに高い値段を提示されたため、値切る気にもならなかった。

Xの提案で海を見ることになり、彼の車で向かった。
アラビア海の夕日は、今でも記憶に残っている。

A氏の公判では、X直筆の便箋に書かれた供述書を証拠として提出したが、裁判所は、証拠採用を却下。
Xの供述に基づき、暴力団組長3名の証人申請をしたところ、これは認められた。
3人とも、法廷に並べられた5丁のけん銃について、「私のものがある」と述べたが、「どれ?」という私の尋問に対しては、自らの刑事責任にかかわるとの理由で証言を拒絶した。

A氏は、結局、懲役10年に処せられた。
控訴も棄却され、上告を検討したが、A氏は諦めて早期服役・早期出所を選択した。
とうに出所したはずであるが、連絡はない。
元気でいることを祈るのみ。

この事件で、私は、刑事訴訟法227条の合憲性について徹底的に争ったが、裁判例集には登載されていない。